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一般社団法人クレーシス

なぜ召命(Calling)なのか?

将来の夢はなんですか?
子供時代に度々聞かれた質問です。

自分はいったい何になりたいのか?そして何に憧れているのか?

スポーツを頑張っている子供であれば、「プロ野球選手」や「Jリーガー」と書いている子が多かったような気がします。親がやっている仕事をそのまま書く子もいれば、「会社員」「サラリーマン」と超現実的な夢を書くこともあったでしょう。

夢を持つことは、人生にとって確かに大切なことです。
けれど成長するにつれて、私たちは気づき始めます。
——夢のような仕事に就くのは、そう簡単ではない。
——思い描いていた自分と、現実の自分には距離がある。

そのときから、問いは少しずつ変わっていきます。

「自分は何になりたかったのか」から、
「自分は、何者として生きていくのか」へ。

振り返ってみると、私たちの進路や職業は、驚くほど周囲の期待や評価、環境に左右されてきたことが分かります。

本当になりたかった自分ではなく、
「それが無難だったから」
「周りが喜んでくれたから」
「評価されたから」

そうして選び続けてきた道が、今の自分を形づくっている人も多いでしょう。

20代、30代は、理想と現実の間でもがきながら走る時期です。
けれど40代、50代になると、心のどこかでこう思い始めます。

「いまから何かを変えるのは、正直しんどい」
「この仕事を手放すリスクは大きすぎる」
「このまま定年を迎え、老後に入るのだろうか」

残念ながら、
大切にしてきた組織や人間関係にこの問いを投げかけても、
明確な答えが返ってくることは、ほとんどありません。

人生100年時代と言われる中で、残り40年、50年という時間を、私たちはどう生きるのでしょうか。

私が30代半ばでカナダの大学院に留学していたとき、
恩師から、こんな言葉をかけられました。

「クリスチャンの人生は、60歳からが本番だからね」

当時の私には、正直まったく理解できませんでした。
日本の社会で60歳といえば、多くの人が定年を迎え、
嘱託で働けても65歳までという現実があります。

その年齢から「本番」とは、いったいどういう意味なのか。
私は何年も、この問いを抱え続けました。

そして、たどり着いた一つの答えが、
「召命(コーリング)に生きる」という考え方でした。

ここで言う「召命(コーリング)」とは、特定の宗教的職業や一部の人だけに与えられる特別な使命のことではありません。それは、自分の人生が偶然の積み重ねではなく、意味と方向性をもったものとして理解されていく生き方を指しています。

この召命について、思想家の オース・ギネス は、著書『召命』の中で、次のように表現しています。

召命とは、創造主である神が私たちを力強く、はっきりとご自身へと招いて(呼んで)くださることであり、
私たちの生き方や行動、そして持っているものすべてが、その呼びかけに応えるために、特別な意味と力を持つようになる、ということです。

この言葉が示しているのは、
人生のあらゆる領域――仕事、家庭、人間関係、社会との関わり――が、
「ただこなすもの」から「意味をもって応答するもの」へと変えられていく、という視点です。

仕事における召命があり、
家族の中での召命があり、
社会やコミュニティの中で果たすべき召命がある。

そして何より、
あなたにだけ与えられた特別な召命がある

年齢を重ねるほど、肩書きや立場は変わっていきます。
しかし、自分の特性や経験、歩んできた人生そのものは、
むしろ後半に入ってからこそ、深みを増していきます。

人生の終わりまで、このいのちが召される瞬間まで、
与えられた持ち分を生かしながら、
その時々に与えられる役割に応えて生きていく。

それが、人生を豊かなものにしていくのだと思います。

召命とは、
私たちの生き方や行動、そして持っているすべてのものが、
「意味をもってつながっていく感覚」とも言えるでしょう。

もちろん、その道のりは簡単ではありません。
迷い、立ち止まり、試行錯誤を繰り返しながら、
少しずつ「本当の自分」に近づいていくプロセスです。

私は、ビジネスの現場に生きる方々とともに、
この「召命」というテーマを学び、考え、語り合う場を持ちたいと願い、
クレーシスの働きを始めました。

召命を願うならば、共に探し求めるために

召命が与えられたならば、共に励まし合いながら生きるために

召命を求め、自分の人生を意味のある物語として生きたいと願う方と、クレーシスを通してこれからも時間と経験、そして思いを分かち合っていきたいと願っています。

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